洗剤とうんちが運命的に出会った話
30年ほど前に、「スプーン一杯で驚きの白さ」というキャッチフレーズで花王から発売された洗剤「アタック」は、酵素入り小型濃縮洗剤のはしりでした。
現在40代以上の世代なら、子供の頃に母親が使っていた洗濯洗剤...ザブ、ニュービーズ、ブルーダイヤ等々(懐かしい・・・笑)の箱の大きさが、現在の物の数倍大きかったことを覚えているのでは?
それもそのはず、当時の一般的な洗剤は、1回の洗濯にカップ1~2杯もの洗剤が必要だったんですから。
それが、アタック発売以降、洗剤使用量は劇的に少なくてすむようになり、箱も小さくなったというわけです。
アタックの開発では、小型濃縮化の技術とともに、アルカリセルラーゼという、アルカリ性でも働く酵素添加による洗浄力向上がありました。
家庭用の洗濯洗剤には、毛や絹などのデリケートな衣類の洗濯に適した中性洗剤もありますが、一般的な綿、麻、合成繊維などの下着や普段着の衣類を洗うのに適しているのは弱アルカリ性洗剤です。
つまり、アルカリ性で働く酵素の発見がアタック開発のカギになったわけです。
うんちのセルロースを分解する酵素
1970年代の日本は、まだまだ下水道の普及率が低く、汲み取り式のトイレが主流で、うんち・おしっこがタンクに溜まるとバキュームカーで吸い取って、し尿処理場に運ばれていました。
そして、し尿処理で問題になっていたのがスカムといわれる浮きカスでした。
うんちには、未消化のセルロース(炭水化物の一種)が含まれており、有機腐敗、発酵するとガスを発生します。それと汚水中の懸濁物質、繊維質、油脂質、細菌が浮上して、水表面にスポンジ質の厚い膜状の浮きカスを作るのです。
これがスカムで、細かい粒子状のものから30㎝を超える大きな塊まで様々あり、汚物の処理を厄介にしていました。
そして、セルロースを分解する働きがある酵素が注目を集めたわけです。
が、当時発見されていたセルラーゼという分解酵素は、アルカリ性であるうんち&おしっこの混合物にはあまり効きませんでした。
最近では、例の件(あえては申しませんが...苦笑)でその名を轟かせましたが、大正時代に創設された国内唯一の自然科学系総合研究所で、国際的にも高い知名度と研究業績を持っています。
当時、理化学研究所にいた堀越弘毅先生は、人のうんちのセルロースを分解する研究を行いました。
そのやり方は、うんちを何度も洗ってセルロースだけを取り出し、いろいろな酵素を投入して最もよく分解するものを見つけるというもの。
だから研究中はいつも、研究室のあるフロア中にうんちのにおいが充満してしまい、堀越先生自身が他の研究室に一升瓶を持って謝りに行ったというエピソードも残っています。笑。
苦労のかいあって先生は、研究開始2年後に、効果抜群の酵素アルカリセルラーゼを発見しました。
その後、理化学研究所は「アルカリセルラーゼの製造法」に関する特許を取得しましたところが、世の中は高度経済成長期でもあり、あっという間に日本中に水洗トイレが広まってしまい、アルカリセルラーゼの活躍の場が失われてしまいました。
一方、当時の洗剤メーカーは、洗浄力を高めるための洗剤成分であるリンの化合物が、海や湖沼、河川環境で富栄養化の原因と目されたため、無リン洗剤を開発する必要に迫られていました。
そこで、無リン化しても洗浄力を向上させるために酵素を添加したのです。
洗剤メーカー各社では、数多くの酵素やその他の物質を洗剤と共に洗濯機に入れては洗い、洗浄力アップの手がかりを追い求めたといいます。
ただ、セルラーゼはセルロース分解酵素なので、木綿などセルロースからできた繊維(木綿はその成分約90%がセルロース)をボロボロにしてしまう可能性がありました。
しかも、通常のセルラーゼは、弱アルカリ性である洗剤溶液の中では2~5%程度しか効果を発揮しません。
そこで、アルカリ性で効果があるセルラーゼを求める過程で、理化学研究所の持つ特許「アルカリセルラーゼの製造法」にめぐり合ったわけです。
理化学研究所からアルカリセルラーゼとそれを産生ずる菌株を譲り受けた花王は、アタックの開発に着手。
ここに、うんちと洗剤の運命的な出会いがありました。笑。
ただ、実際にアルカリセルラーゼを洗剤に添加して使用するには課題がありました。
理研から譲り受けた菌株は、菌体外に分泌するアルカリセルラーゼの量が少なかったため、量産には向かなかったのです。
そのため花王は、アルカリセルラーゼを短時間で大量に菌体外に分泌する菌株を自然界から探し、さらに発見した菌株にさまざまな変異をかけて、工業化できるレべルのアルカリセルラーゼを産生するものを育てアタックを完成させました。
その後、小型濃縮洗剤は、さまざまな技術革新によって手が加えられ、より高性能なものへと進化しながら現在に至っていますが、その原型はうんちの研究から出来上がったと言っても過言ではないのです。